「フェミニズム」という言葉はよく耳にするけど、自分がフェミニストかというと、そういうカテゴリーに属する人間とは思っていなかった。
ただ、男女の既成概念については子供の頃から疑問を持っていたのは確か。
私は一人娘であり、昭和の時代が幼少期でもあるため、よく「女の子はピンク」という既成概念を肌で感じてきた。大人からプレゼントされるものは、それベース...
嫌だったわけではないけど、なぜピンクなんだという疑問が4,5歳の頃にあった。
ピンクも好きだったけど「この子も他の子と同じ、女の子はみんな一緒」だと思われるのが嫌だった。
天邪鬼な性格も災いして(笑)「好きな色は水色」と答えたり、本当は好きだったけど、フリフリなスカートも履かなくなった。
そういう頭でいると、本当に水色が好きになり、パンツファッションが好きになった。
だけど、5歳の時の一番好きな服は赤の3段フリルのスカートで、大事すぎて汚したくなくて、たまにしか履かなかったという事実も(笑)
圧倒的にスカートよりキュロット(懐かしい響きw)などが多かった気がするけど、ちょっとした世間への対抗心がありつつもキュロット「も」本当に好きだった。
今はジェンダーレスの世界だし、ピンクでも青でも紫でも緑でも本人が好きなら、それはなんでもいいというのが大前提で、でも今でもその概念は消えないという実感もある。
女性である私の中にも「女性はこう」という偏見があるのも事実だし。
私は一人で旅をするし、一人で大型家具(説明書に大人2人必要と書いてあっても)組み立てるし、建築の仕事(当時男性社会)もしてたし、今でもスカートはほとんど持っていない。
この選択のベースには少なからず、女性への既成概念に対する抵抗があったのかもなと。あ、旅行は友達が少ないからかも(笑)
余談だけど、私は建築でなくインテリアを仕事にしたかったのだが、大学へ入学した当日に、教授から「インテリアをやりたい奴はやめてもらって良い。ここは建築を学び、卒業後には建築士受験資格を得られるカリキュラムの女子大だ。建築からインテリアへは下がれるが、インテリアから建築には上がれない。」と。
ここにはまた別の差別があるんだけど(失言だと思う...)講師の世の理系女子大生への偏見を受けてのこともあっての発言。
実際、100社へ会社案内を請求して返ってくるのは数通と先輩が言っていた。
入社して設計職に就けると思ってたら、女子は就職して少ししたら結婚して退職するからっていう理由で、配属されたのは事務職とか。同級生にはそういう人もいた。
「就職超氷河期+女子学生の専門職」はハードルがヒマラヤ山なみに高かった。
そんなこんなで、よーし!建築という男性社会の中でバリバリやれる女性になりたい!という私の中にある固定概念が発動したのも事実。
しつこいようだけど、もちろん心の底から好きという想いがあって選んできた。難しいことにチャレンジしたかった。(自分が見えてないともいうw)
とある会社で仕事をしていた時、そこの女性社員はみんな「若くて美人」だった。
採用基準に「顔面(諸々の)偏差値」があったそう。そして、女性だけ制服アリ。膝丈のキュロット(またもや昭和w)の!
また、女性で専門知識を要する設計職の人はいなかった。
その世界に身を置いたときに1番に感じたのは、居心地の悪さ。奇妙さ。性別によるヒエラルキー。
私は別枠の短期就労で、その基準とは関係なかったので採用されたっていう(笑)
この世界で「女性の立ち位置の縮図」みたいなものを見た気がした。他の事務所でも感じてたけど。
あぁ、女性ってやっぱりこういう扱われ方なんだなって。でもそこの男性社員は皆さん、女性社員に対して礼儀正しく差別なく接していたと記憶している。
で、母の日になぜこのことを思ったかというと、母は昭和21年生まれで、当時女性で進学する人が少なかった大学へ行き、就職した人。
皇室に献上するような織物などを作る繊維会社や写真スタジオで働いていた。
また、一人でホステルに泊まりながらヨーロッパ横断をし、当時にしてはかなり枠からはみ出した生き方をしていた。
私が生まれてから専業主婦になったけど、幼い私に黒い服を着せてたら、周りから「女の子に黒着せるなんて」と言われたとか。
そして、今でも家庭を支える「お母さん」ぽさはない(笑) 昔から専業主婦らしさも全然ない。自由にフラフラ出かける。
全くの個人主義で、好きなことをする人。それでも私が生まれてからは私が病弱だったのもあり、ずいぶん色々な事を我慢してきたと思う。
世間では、子供のためなら犠牲とか云々厭わない...だろうけど、母は「子供が嫌い」と言い放つ人ですからね(笑)
そんな人がよくここまで、私を育てたと思います!!(笑)
そして、そんな母から受け継いだのか、私もその「女性らしさ」の枠からは外れた生き方をし、父は嘆いてます(ごめんね、お父さんw)
母にはこれからも好きに生きてもらいたい。
少し不自由な体になったけど、自然が好きで写真が好きで旅行が好きな人生を、できるだけ謳歌してもらいたい。
とはいえ、日々飼っている猫、そして保護猫や地域猫に餌をやる毎日。
私も数年後、あーなるのかな(怖)